プロフィール概要
株式会社プランメンタル ライフジャンプ代表。
一度に1種類だけのレメディーを使う、伝統的なクラシカルホメオパシーを実施。
金沢美術工芸大学修士卒、凸版印刷株式会社にてディレクターとして7年勤務。販売コンテスト関西1位・NYアートディレクターズクラブ受賞。
退職しガラスの作家活動をする、芸術で受賞13回ほど東京銀座ギャラリーにて展示会実施。
化粧品会社に転職12年間勤務 商品企画と販売促進担当数々の賞を受賞。
2006年からホメオパシーの勉強を始め、某ホメオパシー学校中退、世界的ホメオパスヴィソルカス教授のInternational Academy of Classical Homeopathy卒業。元脳外科医ドクターホメオパスロバートハシンガーのFCH JAPAN 卒業。
2016年ホメオパスの仕事で独立起業、2019年から人間関係のコミュ二ティー事業を開始。
プロモーション業務化粧品会社のコンサルタント、2022年エコロジー商品の販売促進などにもたずさわる。
2023年1月6日法人化、株式会社プランメンタル ライフジャンプを設立、現在ホメオパシーとコミュニティー運営2つの事業を経営。
2026年3月18日一般社団法人日本未来共生振興会設立、コミュニティー運営事業を拡大。
国内・海外〜世界中にクライアントをもち、医師などのクライアントも持つ。3800以上のケースを担当し、他のホメオパスで治せなかった症例も多数解決。数多くのクライアントを身体と心の改善だけではなく、自己実現へと導いてきた。
目次
ライフジャンプホメオパシーとは?
ライフジャンプホメオパシーとは私がつくった造語で、「人生を変えるレベルのホメオパシー」を指します。
はじめまして、身体と心をリニューアルするクラシカルホメオパシーの専門家 世良純子です。
私は1968年生まれで、2026年現在58歳です。
2006年にホメオパシーを学びはじめてから20年以上、世界中にいる数多くのクライアントの人生を変えるお手伝いをしています。
支援の範囲は幅広く、花粉症や甲状腺、婦人科系や原因不明の体調不良、恐怖症、性的虐待やトラウマ、パニック、うつ、不登校・人間関係・恋愛の心の傷、といった身体や心のケアだけではありません。
永年の夢を叶え、憧れの職業に就いたり、インフルエンサーになるなど自己実現のサポートも行うのが、わたしが提供する人生を変えるライフジャンプホメオパシーの特徴です。
この20年で学んだのは、ホメオパシーは症状の改善だけにとどまらず、人生を変えるレベルまで使えるということです。
独立系ホメオパス
ホメオパシーは、技術自体はすばらしいものの、それだけで生活してゆくのは難しい仕事です。
簡単なセルフケアを学んだ方、4年制の学校を卒業した方、卒業後も別の学校で学び続ける方、海外に留学して学ぶ方までいますが、その後ホメオパシーだけで生活できる収益を得ている方は多くありません。
そのため、副業として続ける方、セッションより講座の開催を中心にする方、ご家庭を優先しながら好きな仕事として続ける方が多いのが実情です。
それぞれの事情があっての選択ですし、どの形であれホメオパシーを続けていること自体は立派なことだと思います。
ただ、私が卒業した学校では200人ほどの卒業生のうち、専業のプロとして仕事をしているのは、私が知る限り4〜5人ほどです。
しかし、私にとってホメオパシーは、趣味でも副業でもなければ、片手間にする仕事でもありません。
生計を立てる事業にすると覚悟を決め、企業を辞めるというリスクをとって2016年に個人事業主として独立し、その事業が拡大し、2023年には法人化も果たしました。
この仕事で生活しているのですから、クライアントに結果を出さなければ続けることはできません。私にとってホメオパシーという仕事は真剣勝負なのです。
ここまで人生をかけて仕事をしているのですから、当然私自身が病やトラウマでもがき苦しんできた強い原体験をもっています。
長くなりますが、私の半生を知っていただき、世良純子という人間が信頼できそうか確認して、もし納得がいけばメルマガ等でお気軽にご相談ください。
この経験から学んだのは、ホメオパシーを「生活できる仕事」にするには、技術だけでなく、結果を出す覚悟とリスクをとる決断が必要だということです。
医療の本質を聞いて育った子供時代
私の父は、新聞に掲載され、後に勲章をいただくような名医で、まだ社会で認められていなかった「過労死」を提言したりもしていました。
私は、医療への先見の明があった父から、人前では言わない病気や医療の本音を日常的に聞いていました。
失恋が原因で心が壊れた女子高生の話、薬で風邪や咳は治らないという話、患者に投薬や手術を勧める医師が、家族や自分には特定の手術や薬を使わないという実態も、実際に見てきました。
この経験は、私が西洋医学では改善できない「病気はどこからはじまるの?」というホメオパシーの本質に触れるルーツとなりました。
この経験から学んだのは、病気の本質的なケアとは薬で症状を消すだけではなく、「不調はどこからはじまるのか」を見るものだということです。
暴力と性的虐待の日々、5歳で抱えたトラウマ
しかし、私の家庭は決して円満ではありませんでした。
姑からいじめを受けていた母はとても不安定で、私に日常的にモラハラや虐待をし続けました。
理不尽な理由で罵倒されては、「お前なんか生まれてこなければよかった」「お前みたいな子供が継母にコ●されるんだ」と言われ、ぶち殴られながら育ちました。
5〜6歳頃でしょうか?水泳教室で溺れそうになり、講師が助けてくれなかったので、泣きながら帰ろうとする私を、母は「他の子は泳げているのだから戻れ」と般若のような顔で怒り狂い、泣き叫ぶ私を痙攣して口がきけなくなるまで殴り倒し、裸にして玄関の外に放り出し、そのまま私を置き去りにして、母だけ家に帰ってしまいました。
小学校にあがるまえに、一人で小説を書いていたのですが、「自分で書いた」という私を、母は「嘘に決まっている」とののしり、9歳年上の姉も「純がこんなもの書けるはずがない、写したんだろう?」とののしりました。
「本当に私が書いたのに、どうして信じてくれないの?」と泣く私を叩いて殴り、姉からも兄からも日常的に暴力をふるわれてきました。
不思議なことに、2人とも自分がしたことはすっかり忘れていますが、特に姉はなにか気に入らないことがあるたびに家族全員を集めては、小さな私をのけ者にし、「あいつさえ家にいなければいい」と罵倒し、私の手作りの誕生日プレゼントはゴミ箱に捨てていました。
それなのに、母も姉も外面だけはよくジキルとハイドのようでしたので、私が大人に泣きながら家で暴力をふるわれていることを訴えても、「あんないい人がそんなことするわけがない」と誰も信じてはくれませんでした。
母からも兄や姉からもいじめ抜かれ、罵倒を受ける毎日、孤独な私は絵を描いたり、ストーリーを考えることが唯一の自分の慰めでした。
ところが、自信がなく、不安が強い私をさらに地の底に突き落とす出来事が5歳の時にありました。
近所に住むおじさんから性的虐待を受けたのです。
最後までではありませんでしたが、近所の子も性的虐待を受けていたので、当時その行為の意味がわからなかった私は、無邪気に母に伝えようとしたところ、「まさか、あなたがされたんじゃないでしょうね!!」と怒鳴りつけられ、思わず「わたしはされていない」と嘘をつきました。
その時「私は汚く、なにかとんでもないことをしてしまったんだ・・・」と、男性に近づいた自分に強い罪悪感をもったのです。
その後、6歳で私は「腸ヘルニア」の手術を受けました。トラウマが身体に病気を作った1回目の経験でした。
また、この経験は、私が虐待を受けている人を立ち直らせたいと強く願うルーツともなりました。
この経験から学んだのは、子どもの頃に受けた心の傷は、やがて身体の病気となって現れる場合があるということです。
アトピーを発症、ついたあだなは「おばあさん」

性的虐待を母に怒られてから、「断じて恋愛しなければきっと母に愛されるだろう」と思うようになった私は、やがて小学生でアトピーと卵アレルギーを発症しました。
同級生に「おばけ」といわれ、アトピーのひどいかゆみでいつも手や足をガリガリ掻いてはリンデロンという強いステロイド薬を塗りたくり、目の下がシワシワになって「おばあさん」と呼ばれ、やがてアトピーはどんどん悪化してゆきました。
この経験から学んだのは、ときに親に愛されたい一心で自分に課した「禁止」は、身体を蝕んでいるということです。
セクシャリティーを抑圧してきた青春時代


アトピーは外見を気にする高校生から大学生の頃に最もひどくなりました。
ボロボロと鱗のように顔の皮膚が剥がれ落ち、首は真っ黒で自分の容姿にとてもコンプレックスをもっていました。
そのため、おしゃれをすることも、芸能人に憧れることも、恋愛も、男の子と会話することは諦めていたのです。
そのため、男子からも女子からも「あの絶対男と話さない変なヤツ」「あんたダサいよね」と馬鹿にされたまま、私の10代は終わりました。
ホメオパスとなった今は、「自分は恋愛してはいけない」という無意識下のトラウマが、アトピーを悪化させ、恋愛を避ける理由になっていたとわかるのです。
「恋愛できない」という相談をよく頂きますが、意外なことがルーツになっていることも多いのです。
この経験から学んだのは、「恋愛してはいけない」という無意識の思い込みが、見た目を悪くし、ますます苦手な恋愛から遠ざける後押しをするということです。
高校の美術部教師から、ドラマのようないじめと進学妨害
ウロコのように皮がめくれるボロボロの顔と、母や姉兄からの罵倒。このひどい現実から逃れるために、私は絵を描いて自分を慰め、漫画家になる夢をひそかに抱いていました。
高校では成績優秀でしたので、通いたい漫画教室が近くにある関東の美大入学を目指し、美術部に入部しました。
その美術部は有名美大への合格者を多数輩出していて、受賞経験もある美術のA先生や先輩に指導され、着々と絵がうまくなっていたところで、状況が一変します。
A先生が他校に引き抜かれ、絵が苦手な新人のO先生が美術部の担当に変わったのです。
画力を必要としない大学の出身で、高校時代にはほとんど絵を描いた経験がないO先生は、美術部の先輩たちより画力がありませんでした。
O先生は次第に絵がうまい先輩を目の敵にしていじめるようになり、私は嫌われまいとビクビクしていました。
受験が近づいたころ、指定校推薦をもらうには受賞経歴があるとよいとわかり、絵画展に出品することにしました。
絵が上手かった私は一番の受賞候補でしたが、O先生に出品をお願いしたその日、なぜか心臓がドキドキしたのです。
ところが、次の日に部室へ行くと、私の絵だけが出品されずに置いてあったのです。
当時気の弱かった私はガクガク震え、「そんな・・・嘘でしょ?先生に嫌われている・・・」と、その事実を受け止めきれませんでした。
先生が怖くてたまらず、出品してくれなかった理由すら聞けず、ただやられっ放しでした。
出品できた人たちは受賞し、出品されなかった私だけが受賞のチャンスを逃しました。
受験が近づき、絵を描くチャンスはもうわずかしか残っていませんでしたが、受験勉強をしながら命がけでもう1枚描き、展覧会に出品しました。
内申書の申請に間に合うように、O先生は入選発表の1日前に結果を教えてくれると約束してくれました。
以前の美術部のA先生が審査員だから、結果が早くわかるというのです。
夜も眠れないほど不安になりながら、ずっと先生からの電話を待っていました。
コールを聞いて受話器にとびついた私は、O先生から「審査員の先生に頭を下げて、どうかこの子を入選させてあげてくださいと一生懸命頼んだけど、あなたは審査に落ちたの」と告げられました。
次の日に学校へ行くと、担任の先生からも「残念だったな」と言われ、内申書はもう発送済みだと告げられました。
ところがその翌日、学食でお昼ご飯を食べている私のところへ友達が走ってきて、「おめでとう〜」と言うではないですか。
新聞に、私の名前が「努力賞」を受賞したと掲載されていたのです。私は足から崩れ落ちそうになりました。
O先生は、私が美大に合格しないように、2回も嘘をついて大学に落ちるよう仕向けたのです。
「先生が私を憎んでいる・・・?」その理由がわからず、イジメに負けてオロオロし、勉強も手につかず、絵も描けなくなり、結局3年間努力し続けた憧れの大学に落ちました。
それでもその後、進学するつもりのなかった大学の受験勉強を短期間で必死にやり、最終的に金沢美術工芸大学に入学できました。
今の時代なら、SNSで告発すれば騒ぎになるくらいの暴挙でしたが、先生の権力が今よりはるかに強かった当時は、理不尽を学校に訴えても、誰も味方になってはくれませんでした。
これにはさらにひどい後日談がありまして・・・。
大学に合格してから、私はA先生を探し出して電話をかけ、受験までの絵画出品の経緯を話しました。
すると「そんな絵画展は知らないし、審査員もしていない。審査の結果を1日前に教えてもいないし、そもそも1日前に教えることなど不可能だ」と言われ、さらに呆気にとられました。
なんとO先生は、私の担任も親も学校も私も騙して、最初から芝居をうっていたのです。
私は受話器をもったまま茫然自失しました。
いまから冷静に考えると、絵を描いた経験の乏しい24歳くらいのO先生は、才能ある美術部の生徒たちに嫉妬していたのだと思います。
しかし当時の私は、そんな悪意に何の抵抗もできない弱い自分でした。
また、これらの事実が発覚しても、親も先生も、誰ひとり助けてはくれませんでした。
この経験から学んだのは、理不尽ないじめを受けている子どもには、味方になる大人が必要だということです。当時の私には、味方になってくれる人が一人もいませんでした。だからこそ今、学校でいじめを受けている子供を助けたいと思うのです。
トラウマがひどすぎて男性の絵がかけない?夢すら奪う心の傷
美大に進学し家から離れ一人暮らしの生活になりましたが、運良く有名漫画家のアシスタントになれました。
ところが、当時の少女漫画といえば恋愛を主体とした「ラブコメ」で、いざ漫画を描こうとしたら、「男の人の絵が全く描けない」という驚愕の事実に気付いたのです。
自分に恋愛や性的な行為を禁止していた私には、恋愛の物語はおろか、男の人の絵すら「おもいつかない」「描けない」「手が動かない」状態だったのです。
私の中に巣くったトラウマは、心の支えであったたったひとつの夢すら奪っていきました。
この経験から学んだのは、トラウマは心だけでなく、夢や才能まで奪ってしまう場合があるということです。
友人がカルト宗教に入団
美大は性に対してとても開放的な場所で、男性恐怖症の私にとってストレスフルな場所でした。
同棲、セッ/クスの話を露悪的にするのは当たり前、男は宴会で素っ裸になり露出させていました(現在はマナーも厳しくなりこんなことはできません笑)。
私は入学してすぐに盲腸で手術になりました。思えば、ストレスから病気になった3度目でした。
しかも盲腸は食中毒と誤診され、「助けて!」と何度も訴えるも無視され、腹膜炎の痛みで歩けなくなるまで放置されました。
結局、大学1年の試験前日に救急車で運ばれ緊急手術を受け、お腹に醜い傷が残ってしまいました。
退院後、男性が苦手な私は同じ悩みを抱える女の子と仲良くなりました。彼女の男性恐怖症のルーツは、父親からの暴力でした。
あるときそんな彼女から、「女性を性的な対象として見ない、清らかな人たちがいるから、あなたも仲間にならない?」と誘われたのです。
ところが、そこは当時社会問題にもなっていた某カルト宗教だったのです。
私は彼女をカルトから脱出させようと親御さんや牧師にかけあって必死に行動しましたが、何度トライするも打ちのめされ、彼女との友情も終わりました。
その過程で、カルト宗教のターゲットが、私たちのように人間関係に不器用だったり、恋人づくりや性に否定的な感情を持つ人であることを知りました。
そして、男性が極度なまでに苦手な私は「清らかなのではなく、心の病を持っているのだ」とやっと自覚したのです、見たくないものはなかなか自覚ができないものです。
この経験から学んだのは、見たくない自分の問題ほど自覚しにくく、そこにつけ込まれると、ときに人生を台無しにする危険性があるということです。
スピリチュアルに癒しを求めた30代
「自分には性的虐待によるトラウマがあるから癒やさないと!」やっと自分の問題を自覚した私は、20代〜34歳くらいまで精神世界にどっぷりとハマります。
自己啓発、スエットロッジ、クラニオセラピー、ロルフィング、ドルフィンスイム、占い、オーラソーマ、マヤ暦、フラワーエッセンス、感情を出すワーク、霊能者、霊視まで、ありとあらゆるヒーリングを体験しました。
多くのお金をかけ、自分はすっかり癒されたと信じこんでいました。
当時の私は「堂々めぐりしているだけの癒やしマニア」で、何回も自分の傷を掘り返しているのに、根本的な変化は起きていませんでした。
私がカウンセリングやスピリチュアルに若干否定的なのは、それらの限界と欠点を、10年以上かけて自分自身がたんまりと遠回りして経験してきたからなのです(もちろんスピリチュアルが有用な場合もありますが)。
この経験から学んだのは、傷を掘り返し続けるだけでは、根本的な変化は起きないということです。
癒やしの転機は「現実的な行動」だった
大学は修士を卒業したので6年でした。
4年目で卒業していれば就職売り手市場だったのですが、修士の卒業と同時にバブルが弾け就職戦線は大混乱となりました。
大手企業が「今年は採用なし」になったり、「合格後採用取り消し」になったりで、もともと1企業2人くらいしかない採用先の枠がなくなりました。
そんな大切な就職活動時期に、緑内障で目が見えなくなる疑いがあるとわかりました(後に解決)。
「こんなときになぜ・・・」と嘆き悲しみながらも、地方でたった一人就職試験のための制作を頑張り、泣きながら日本中をかけまわって就職活動する私に母は「院に進学したせいだ」「お前は運が悪い」とまた罵倒、病気で苦しむ私の味方にすらなってくれませんでした。
当時の私には夢があったのです。
アトピーや病気をもっていたので、食品添加物の入った加工食品や、肌にきつい成分の入った化粧品で誰よりも苦しんできました。
そのため、「本当に健康に良い商品をつくって世の中に広めたい」という大きな夢がありました。そう、昔から社会に貢献したいと願っていたのです。
ところが、当時は無添加化粧品はまだ市場にほとんどなく、やっとのことで合格した大手化粧品会社で企画をしたいと申し出ましたが「そのアトピー肌だと仕事が大変」と言われ、合格するも入社を断念しました。
最終的に、あらゆる業界の仕事をしてみたくて一部上場企業の企画職(広告代理店のような仕事)への就職を希望し、困難な競争に勝ち抜き合格しました。
やりがいのある仕事に専念し、男も女もなく評価を受け、人としてお互いが認め合う中で、自然と仲間ができ「男の人って怖いものではない」と学んでいきました。
やがて彼氏もでき、自分が女性であるということを自然に受け入れられるようになっていきました。
また、仕事でもいくつも難しい案件のプレゼンを勝ち抜き、海外で受賞もし、少しずつ自分に自信をもつようになりました。
自分を決定的に癒やして変化させてくれたのは、スピリチュアルを追求し続けることではなく、現実的な行動だったのです、これは今もホメオパシーをする上で、指針となっています。
私のホメオパシーを受けている方達が、自己実現に成功する人が多いのは、私が現実的な行動のアドバイスができるからだとおもっています。
この経験から学んだのは、人を決定的に癒やすのは、癒やしの追求ではなく現実的な行動だということです。
少女を性的虐待した男性を許せと強要される
ところが自分を癒すために参加した自己啓発セミナーで、自分を見失います。
参加者のひとりが、自分の罪を告白するワークで「幼い子をレイ●しました」と言い、ファシリテーターは「どんな罪を犯しても誰もその人の尊厳は傷つきません!」と高らかに宣言していました。
私はわなわな震え、ワークがすすめられなくなりました。
あまりに辛くなった私は、ファシリテーターの奥さんに助けをもとめましたが、「あなた次第」といわれ、私は「これを頑張れば性的虐待の傷を癒せるかも?」と、その後も泣きながらワークを続けました。
最後に、性的虐待をした男性はストリッパーの役になって裸で踊り狂い、ファシリテーターは私に対し「彼を応援し、許しなさい」と命令しました。
私は彼をサポートしながらふるえ、泣いていました。
ストリップをした男性は、「やっと自分の性的なものが解放された〜」といって嬉しそうに帰ってゆきました。
私は「そんな人にも罪悪感があり、自分を癒す必要があった」ことを頭で理解してはいましたが、感情で受け止めることはできず、その後もやもやし、彼ともうまくいかなくなり、最終的に別れました。
今振り返ると、性的に抑圧された男性が少女に性的虐待をするのは理屈にあってはいますが、セミナーのファシリテーターとしてはあまりにお粗末だと感じました。
ファシリテーターが男性だったこともあるかもしれませんが、心の問題を扱う経験不足のヒーラーやスピリチュアルの人が心を扱ってかえって悪化する例は意外にたくさんあります。
昨今はわずかに勉強してすぐ「〇〇実現専門家」と売り出すことが大事だといわれています。世間は私を時代遅れというかもしれませんが、私自身は、10年以上勉強を重ねてやっとホメオパスとして独立しました。「素人の癒やし専門家」は本当に危険だと思ったからです。
もうホメオパシーを勉強して20年以上も経ちましたが、いまだに勉強は続けています。
この経験から学んだのは、心の問題を扱うには十分な経験と学びが必要で、未熟な癒し手はかえって人を傷つけるということです。私が、安易にカウンセラーやヒーラーになることに必ずしも賛成しない理由はここにあります。
大企業の立場を捨てガラス作家活動に挑戦
凸版印刷の仕事は一部上場企業だけにそこそこお給料も良く、仕事もやりがいがありました。
しかし、あくまでもディレクター職(デザイナーに指示を出す仕事)でしたし、女性の課長がいるわけでもなく、将来に不安をもっていました。
素敵なパンフレットを制作しても、自分がデザインしたわけではない。それに不満をもち、仕事はうまくいっていましたが7年目で退社しました。
その後は大学の専門分野と別部門のガラスの作家活動を一からはじめました。
やがて作品が入選したり、作品が売れたりしたのですが、自分のやりたいことは芸術ではないと結論が出て、化粧品会社への就職に再挑戦することにしました。
私はずっとホメオパシーをしていたわけではなく、通常企業でのキャリアがしっかりありました。仕事はうまくいっていたので、「なぜ辞めるの?」と沢山の人に言われましたが、夢に挑戦したかったのです。
そのため、私もみなさんの挑戦を応援、サポートしたいと思っています。これからの時代こそ、たった一度の人生でやりたいことに挑戦してほしいと願っています。
この経験から学んだのは、「やりたいこと」なんて空から振ってこない、やりたいこと、できることは実際にやってみて初めて、自分が本当にわかるということです。
人間関係最悪の化粧品会社で頑張る
身体にいい商品を作っている会社で働きたく、縁あって活性酸素に働きかける無添加ナチュラル系の化粧品会社に就職しました。
商品はすばらしく、使命感をもって商品開発や販売促進を担当していましたが、オーナー会社で会長の意見が強く、社員は女性ばかりで人間関係は最悪。
社内はワンマン、イジメ、嘘、パワハラ、モラハラ地獄という(現在問題がおきてクリーンな会社になったようです)なかなかにハードな環境でした。
16人の部署で34人くらい退社したでしょうか?入社1ヶ月で退社する人も、7日で退社する人も、3日で退社する人も、1日で退社する人もいて、上司も何人も変わりましたが、12年間我慢に我慢を重ねて頑張りました。
会長にかけあって展示館を企画して社長賞をいただいたり、商品企画を自ら会長にもちこんでプレゼンテーションしたりもしました。
会社の仕事は我慢と苦労の連続でしたが、逆にどんな人とでもうまくやる要領も憶えたので、今ではいい経験です。
ちなみに、ホメオパシーを受けたい人は自然環境とか人助けといった世の中を良くする仕事をしたいという意向の方が多いです。
ただし、その手の会社はオーナー企業なことも多く、会社がうたっていることとは違う現状が社内にある場合もしばしばです。どうか周りに流されず、期待しすぎず、目的をしっかりもって仕事できることを願っています。
この経験から学んだのは、どんな環境でも、周りに流されず目的をもって働けば、どんな人ともうまくやる力が身につくということです。ときに最悪の環境も学びになるのです。
それでも消えなかった恋愛苦手病
この頃には男性恐怖症はありませんでしたが、スピリチュアルを学んできた知識から、自分が婦人科系の病気を患う可能性があることに薄々気づいていました。
しかし、男性医師に向かって、股を開く婦人科の検診台に上がる勇気が持てず、永年見ないふりをして検診を避けてきました。
ところが、はじめて受けた検診で、すでに要手術のサイズになった巨大な子宮筋腫がみつかったのです。
病院では「とにかくお腹を開いて、その場の判断で子宮をとりましょう」とあっさりと言われました。
昔からお腹が大きかったので、もしかしたら子宮筋腫はかなり昔からあったのかもしれませんが、この検査の半年くらい前でしょうか?ひどい失恋をしたのできっと一気に悪化したのでしょう。
ところが当時は、ヒーリングワークをあれだけ頑張ってきたのに病気になったので、罰が下ったような挫折感を味わいました。
何件か病院を周り、経過観察の診断をもらい、なんとか子宮をとることなく治す方法はないかとありとあらゆる治療方法を探します。
漢方、中国整体、ヒーリング、気功、食事療法、そしてもちろん西洋医学の保存療法と、あらゆることを試行錯誤しましたが、何をやっても治りません。そこで最後に辿り着いたのがホメオパシーでした。
この経験から学んだのは、見ないふりをしてきた問題は、いつか身体の病気となって自分に突きつけられるということです。
ホメオパシーで大失敗、結局は手術
きっと、読んでくださるあなたは、私がこのときホメオパシーを選択したことで病気が治り、ホメオパスになったことを期待されるかもしれません。
でも、現実のストーリーはそんなに美しくは進みません。私は最終的に、ホメオパシーで救急搬送されたのです。
2年間、本格的なホメオパシーを受けました。
最初に提案されたレメディーはとても効いた気がしましたが、その後ホメオパスから指示されるままにレメディーを変え、何種類も飲み続けているうちにどんどん悪化しました。
筋腫は日に日に巨大化し、貧血も悪化してヘモグロビン値は5(通常11〜15)まで下がり、階段を上るだけでぜいぜいいう状態になり、痛みで眠れなかったり歩けなくなったりもしました。
子宮筋腫は15センチにもなり、これ以上巨大化すれば手術が困難になって子宮ごととらなければならない瀬戸際でした。
ホメオパスには何度も「治らないのなら、手術ができるうちにホメオパシーをやめたい」と相談しましたが、「治る かもしれない から続けましょう」と言われ続け、その言葉を信じて私は高額なお金を払い続けました。
ある日、指示通りレメディーをとると、急に天井がグルグル回転するめまいで歩けなくなり、ホメオパスにも学校にも助けを求めましたが解決できず、救急搬送となりました。
しかも悪化した後、何度連絡しても、ホメオパスとは1ヵ月以上も音信不通になりました。
最終的に子宮筋腫は開腹による核摘出手術となりました(子宮温存)。私にとって4度目の手術です。
もちろん、どんなにすばらしい医師の手術でも失敗はありえますし、ホメオパシーでも治る確約ができないのは仕方がないでしょう。
ただし、当時私に行われていたのは、悪化してもしょうがない、レメディーの連続爆弾投与というべき与え方でした。
残念なことに、日本では危険なレメディーの使い方が野放しになっている事例が結構あるのです。
この経験をもとに、現在私はレメディーをとりすぎて悪化した全国〜海外の方のご相談に乗っています。
みなさん、くれぐれも慎重にレメディーをとってください。間違えると大変危険です。
この経験から学んだのは、ホメオパシーは本物でも、使い方を間違えれば人を危険にさらすということです。
失敗されたのにホメオパシーの学校に入学
なんとか子宮を残して筋腫だけを取り除く手術に成功したとき、私はすでに38歳になっていました。
開腹手術だったので術後の体力はとことん落ち、体重は8キロ減り、筋力もなくなり、どこかへ出かければその夜には嘔吐する状態でした。
病院の薬を飲んでも貧血は治らず、身体は氷のように冷たく、腰から下は感覚がないほど冷え切っていました。それでも会社の激務は待ってくれません。
普通ならここで「ホメオパシー最悪、デタラメ」と書くところでしょう。
しかし、私をこんな目に合わせたホメオパシーが偽物、エセ科学だとは、どうしても思えなかったのです。
「ホメオパシー自体は本物だけれど、たまたまコントロールを間違えたのではないか?」私はこの仮説を確かめたくなりました。
どうしても本当のことが知りたくなり、自分の治療に失敗したホメオパスがいる学校に、わざわざ入学したのです。
当時その学校には、
・「新人のホメオパスが対応してはいけないケース」
・「ホメオパシーでは治らないケース」
・「病院をすすめたほうがいいケース」
というルールがなく、ケースバイケースでなんでも受けてよいと教えていました(今はガイドラインを整備している学校もあるようですが、この学校が現在どうしているかは不明です)。
知り合いに医療従事者の多い私は、病気に携わるにもかかわらず、このアバウトさに大きな違和感をもちました。
何のガイドラインもなく、どんな病気も奇跡のように治せると本気で信じて教えていたことが、私の病気への誤った対応につながったのではないかと疑うようになったのです。
日本では「病院に行くな」「薬は一切とるな」と言い切るホメオパスが多いようで、とても危険です。
この経験があるので、私はなんでも奇跡のように治せますとは申しませんし、ホメオパシーとマッチしないケースや、あまり改善が期待できないケースもできる限りご説明しています。
この経験から学んだのは、本人は善意であっても「治せない場合」を想定しない、知らない治療者ほど危険だということです。
ついにたどり着いた奇跡の出会い「本物のホメオパシー」
私がホメオパシーを学んでいた当時は、ホメオパシーは流行していて、イギリス、インドなどいろんな学校がありました。
当時はホメオパシーのセミナーがあれば、どこへでも出かけてゆき、あらゆるホメオパシーを学びました。
試行錯誤する中、やっと私は自分が納得できるホメオパシーに出会いました。
世界3大ホメオパスといわれるヴィソルカス教授のIACH〜International Academy of Classical Homeopathyというホメオパシー学校の日本校です(現在日本校はありません、本校ギリシア)。
その学校の紹介文にはこのようなことが書いてありました。
「ホメオパシーは最初のレメディーを見つけてお渡しするのは実は簡単なのです。
それよりも、レメディーを出した後反応をチェックしながら、次はどのようにレメディーを出して、または出さないで、いかにその方を治癒までもってゆくかというコントロールをする、それが難しいのです。
逆に、それができないホメオパスには、最初のレメディーをお出しする資格がないといえるでしょう」
「これだ!!!!」と雷に打たれた気がしました。私が永年求めていた真実がそこにありました。
そのとき、私は企業で働きながらすでに日本の某ホメオパシーの学校に通っていましたが、IACHのその強烈なメッセージに惹かれ、IACHにも入学することを決め、学校を2校かけもちすることにしました。
ホメオパシーの学校の授業料は莫大なので、当然遊ぶ時間はなし、遊ぶお金もなしです。
しかし、そんなことはどうでもいいと思えるくらいにIACHの授業は興奮することの連続で、日本のホメオパシー学校とは全く違い目から鱗がおちることの連続でした。
多くのホメオパスは、好転反応やレメディーを飲んだあとのアクションは予測ができないと教えていますが、IACHでは、良いホメオパスはこれから起こる反応が一定予測できると教わります(あくまでも一定)。
すでに日本の学校で習ったレメディーについても、全く違う解釈がなされていました。
私がずっと疑問をもっていた、
・「新人のホメオパスが対応してはいけないケース」
・「ホメオパシーでは治らないケース」
・「病院をすすめたほうがいいケース」
にもはっきりとガイドラインがありました。
やがて私は、日本のホメオパシー学校を中途退学することにしました。何年勉強してもここに治すノウハウはないと結論が出たからです。
何年ホメオパシーを学んでも生活できない方が業界に多い背景には、この「正しい方法を習っている人が少ない →したがって実践ができない」という事実が関係しているのです。
ところが不幸なことに、それを習っている本人も、教えている本人も気づいていないのです。誰かが悪いと言いたいわけではありません。これは構造的な問題なのだと私は感じています。
この経験から学んだのは、ホメオパシーの本質は最初のレメディー選びではなく、その後の反応を見ながら治癒まで導くコントロールにあるということです。
ドラマチックなほどの劇的な治癒
以前のホメオパシーの失敗で、すでに体内が混乱しきっていた私は、精神的にも感情的にも身体的にもボロボロな状態で、ぜいぜいいいながら仕事を続けていました。
そこで私は、IACHの海外ホメオパスのホメオパシーセッションを受けたところ、ここでもセッションのやり方に衝撃をうけます。
自分の悲しみ、苦しみを一生懸命に伝えるわたしをいきなりバッサリと切ってきます。
「いろいろきいたけどつまり君の問題はなにで何を治してほしいわけ?」
察してほしい、ではなく何を解決してほしいのか主訴をはっきり言えといわれました。全く優しくなんてありません。
「もう君の身体はボロボロ、感情もボロボロ、精神だけでもっている、こんな弱いどうしようもない状態にしたのは誰だ?君だ!!!」
「これは僕が治すんじゃない、君と僕との共同作業なんだ」
といわれ、ガーンと頭をたたかれた気持ちでした。
自分の生活態度が、考え方が、生き方がこんな病気をつくった。ホメオパシーで治すケアの主体はあくまでも「自分」であり、自分が被害者意識になっていたことに、ようやく気づかされたのです。
そこで、提案されたレメディーをとった後、劇的な変化がありました。
それは、今までに経験したことがないほどの大きな大きな変化でした。
自己啓発だのスピリチュアルだの、カウンセリングだのを受けてきて何十万円や、他のホメオパシー学校にかけてきた数百万円と15年間は一体何だったのか?と思われるほどの「38年間生きてきた期間を一気に縮めたような癒やしの体験」でした。
5歳からずっとあった男性に対する色眼鏡が「突然」「ごっそりと」軽減しました。
ネガティブな感情がなくなることから、記憶力があがること、身体の症状や冷え症が改善することまで、勝手におきるのです。それは、潜在意識に深くヒットする本物のホメオパシーの体験でした。
「これから男が寄ってくるから」とホメオパスにいわれましたが、「あるわけないじゃん・・!」と思っていました。
しかし、セッション会場を出た瞬間、カッコいい外人にナンパされました「すごく素敵だから声をかけたんだけどお茶しない?」と。
ヒーリングやホメオパシーにありがちな欠点ですが、「私可哀想、誰か奇跡で治して頂戴」というスタンスでは治癒は得られません。
治癒にとって最大かつ最重要なことに、やっと私は気づいたのです。
一番大切なのは「病気をひきおこしたのは自分だと認め、痛みを伴ってでも自分と向き合い、自分を変える覚悟をするという、他責思考を手放すこと」が重要だったのです。
この経験から学んだのは、治癒の主体は治療者ではなく自分自身で、他責思考を手放したときに本当の変化が起きるということです。
レイヤーを乗り越えどんどん治癒が進む
ホメオパシーで貧血も、体力低下も治りましたが、首だけはアトピーの後遺症でずっと真っ黒でした。
この黒く肥厚した皮膚だけはどのアトピーの病院にいっても「諦めましょう」といわれていました。
ところが、ホメオパシーでいろいろ治ったあとで、アトピーが再発し長期悪化した後、首のアトピーの黒い跡すらすっかりきれいになくなりました。
それどころか、少々メイクをおとさずに寝ても、肌に悪い化粧品をつかっても、ジャンクな食べ物を食べても、甘いものを大量にとっても、ストレスがたまっても、アトピーが出ないという「かなりな完治」を体験したのです。
30代後半に高校の同窓会がありましたが、11人くらいの人に「あんた誰?」と言われました。
そのときには、私は見た目、雰囲気から全く別人となってしまっていました。
それよりもっと後の同窓会でも、年齢的にはすでに40代にもかかわらず、目の下のアトピー線の皺もなくなり、肌もハリを増し、若返ったとみんなからいわれました。
その頃にはホメオパシーでどんどん内面をケアしていましたので、まだ勤めていた化粧品会社でももっと自信をもつこともできていました。
会長にかけあって自分の企画の商品をもちこみ、グンゼと交渉し、共同開発の新商品を提案しました。
役員、同じ企画部の仲間すら反対する中、自分がやりたい商品を商品化するべく会長にかけあいなんとか商品化した商品が大ヒットしたのです。
1億2000万以上の売り上げをあげ、雑誌にも掲載され、その後は商品を企画するたび当たり前のように売れ、ヒットメーカーとなりました。
いじめ、仲間はずれ、誹謗中傷、人がドサドサやめるパワハラ環境で、なんとか頑張って仲間をつのり、話を聞いてもらえなかった会長を説得し、やる気のなかった仲間を説得し、なんとか夢を叶えました。
今までこれらの話をしてこなかったため、私はホメオパシーの人(昔からやっている)とおもわれがちですが、一般の会社に入社した後の苦労は嫌というほど味わってきました。
その分仕事や職場についてアドバイスできることはあるとおもいます。
また、現在は嫌な会社に耐えてまでその会社に居続けるといったことをしなくても昔よりは転職もしやすいし、自分にあったキャリアも見つけやすいとおもいます。
この経験から学んだのは、内面が癒えると、身体だけでなく仕事や人間関係まで変わって人生が回りだしていくということです。
師匠から言われた無茶なミッション「魂の仕事をしろ!」
化粧品会社に勤めながらホメオパシー学校を卒業したあとは細々とホメオパシーで副業していました。
ホメオパシーは一番やりたい仕事ではありましたが、世間のホメオパシーブームが去り、周りの人達もホメオパシーをやめてゆきました。
頑張っていた先輩も辞め、同級生は講座だけにしてセッションは辞め、やっぱり本業がいいと辞め、ホメオパシーの本を書いていた人も辞め、医師で活躍していた人も辞め、クリニックと学校経営していた人も辞めていました。
みんながホメオパシーをやめていった理由は、うまく治せないから、講座ならできるから、儲からないからなどなど・・・。
ホメオパシーの仕事が続いている人は、学校の経営をしているか、夫がいる人くらい、正直なところホメオパシーだけで1人で生活している人は当時周りに一人もいませんでした。
私は心の底ではもっと本格的にホメオパシーをやりたい!という夢はあっても生活できる自信はなく、挑戦する勇気はありませんでした。
当時の私は、勤めている化粧品会社よりはましな会社に転職し、結婚でもすればもう人生いいんじゃないかと本気で思っていたのです。
しかし、44歳くらいのときに、ホメオパシーの師匠が奇妙かつ驚きのミッションをいいだします。
「お前はそろそろなんのためにこの世に生まれてきたのかを探すことをしろ」
「そのために転職先などは決めずに、何も持たずに会社を退職して自分を見つめ直して今後の方針を考えろ」といわれたのです。
45歳にして転職先も決めずに退職しろ?すでに転職が難しい年齢になっていましたし、未婚でしたので「いやいや無理ですよ」といって、私は不満がある当時の化粧品会社にしがみつき続けます。
ところが、身体というものは正直です。「やめろ」「辞めたくない、不安だもん」というやり取りを繰り返し、騙し騙し、会社でそこそこやりがいのある仕事をしているうちに、私はだんだん体調を崩し、ついに癌になるかもしれない前兆が子宮に出ました。
その日のうちに私は退職届を書き、文字どおり何も持たずに12年間勤めた化粧品会社を惜しまれながら退職しました。
その後は断食をしたり、恋をしたり、手作り品をつくったり、webデザインやプログラムを勉強し直し、ブログを立ち上げ、ホメオパシーを発信しました。
やがて、男友達も女友達もたくさんできて、恋もたくさんしてきました。
47歳で会社を設立し、ついにホメオパシーの仕事だけで独立を果たしたのです。
その後も地道に実績を積みあげ、55歳で法人化も果たし、現在ホメオパシー以外に、人間関係のコミュニティー運営の共同事業に携わり、日々新しい挑戦を続けています。
この話を聞くと「ホメオパシーを受けてさえいれば病気にならないのでは?」と思う人もいるかもしれませんが、ちがいます。
病気はあなたへの「今の人生を変えなさい」というサインなのです。
例えば、働き過ぎている人には「ライフスタイルを変えなさい」と病気になって報せにきます。
例えば、ネガティブな夫婦関係にしがみついている人には「その夫婦関係を変えなさい」と病気になって報せにきます。
そして・・・意外かもしれませんが、本来ある才能を発揮せずに放置していても病気になって報せにくるのです。
私は当時ホメオパシーも受けていましたが、一定以上治らない時期があり、その理由も先生は説明してくれていました。
時々「ホメオパシー受けたら自己実現かってにできるんでしょ?」と思っている人がいますが、それは完全に間違いです。
私も人生を変えるためには自分自身の決断と行動が最後の決め手でした。
この経験から学んだのは、病気は「今の人生を変えなさい」というサインで、最後の決め手は自分の決断と行動だということです。
真の治癒を目指すと自己実現にたどり着く
病院では病気が見つかりさえしなければ、自信がなくても、失恋を繰り返していても、やりがいのない仕事に就いていても「病気」ではありません。
ホメオパシーならば、「自信がない」も「失恋の心の傷」も症状だから治しますが、「やりがいのない仕事に就いている」としても、本人がそのことで困っていないなら、改善の対象にはならないでしょう。
私が行うライフジャンプホメオパシーでは違います。
理由は、私が卒業したIACHホメオパシー校では「真の健康はその人が自分の可能性を完全に開花している状態」と定義するからです。
「やりがいのない仕事に就いている状態」は、自分の人生の時間のほとんどをつまらない時間にしているわけで、本来のその人の可能性に挑戦していない諦めた状態で、真の健康ではないと判断します。
多くの場合、やりがいのない仕事に就いていても、ネットをみたり、彼氏と遊んだり、友達と飲み会に行って、買い物をしていれば、わりと幸福だと自分にいいきかせ、毎日がワクワクしていなくても、心の底からやりたいことをしていなくても、「子供の成長が私のいきがいだから」「結婚しているから」といって自分は幸せなんだといいきかせるのではないでしょうか?
私のこの一連の変化についてホメオパシーの師匠は「これは高度なホメオパシー」と言っていました。
ホメオパシーは一般的には病気や心の不調を治すために使われ、クライアントが相談していた症状が治ればそれで終わりです。
しかし本来、身体の不調の陰にも、心の不調の陰にも、本来のその人らしい人間関係や人生を選択してこなかった、という根本的な症状が隠されている事も多いのです。
反対にその問題に取り組むことで、本来の自分らしい生き方に気づくこともしばしばなのです。
しかし、それはその問題に「ホメオパスがやってくれるだろう」ではなく、自ら主体的に取り組んだ人だけが見ることができる高みなのです。
この経験から学んだのは、真の健康とは症状がないことではなく、自分の可能性を開花させて生きている状態だということです。
そして今〜5歳の私が想像もできなかった毎日
45歳で会社を辞めたときには想像もしなかった毎日を、今、生きています。
45歳のころ、年齢を理由に転職すら現実的ではなく、独立なんて考えもしませんでした。
まして、ホメオパシーで独立できるなんて、まったく思っていませんでした。
ところがわたしの人生は、45歳からががらっと変わったのです。
50歳までは死に物ぐるいで、ほとんど休みもありませんでしたが、辛くはありませんでした。
ブログを書き始めるとたくさんの仲間ができて、ブログが炎上したときも、みんなが応援して助けてくれました。
発信仲間だったはずが、いつのまにか「自分のやりたいことを仕事にする仲間」になり、その仲間はそれぞれの業界で成功しています。
人は何かを一生懸命やっていると、同じように頑張っている仲間と勝手に出会うのです。
今の私は、ホメオパシーの仕事に加えて、男性向けに人間関係を教えるコミュニティを共同事業として運営しています。
ホメオパシーの考え方をベースにしたこの事業が想像以上に大きくなったので、2026年に一般社団法人日本未来共生振興会を立ち上げ、私は代表理事を務めています。
11人ほどの仲間と一緒に運営していて、今年、初めて社員も雇いました、心から信頼できる仲間です。
ホメオパシーまのお客様は通常女性が多いです。
それなににまたなぜ男性向けコミュニティーを運営しているのかというと、家族全員を診ていると、お母さんが改善すると娘さんの悲しみを受け止められるようになり、娘さんが改善すると親の苦しみを受け入れられるようになって、家族みんなが仲良くなっていく場面をとても多く見てきたからです。
人間関係が悪いときは、父、母どちらかが病んでいることが多いのです。
そしてとくに男性は、人の心について考えるチャンスがほとんどありません。
心がまだ柔らかい20代、30代のうちに「自分にも優しく、女性にも優しく、見た目だけではなく心が求めるパートナーを」を学べれば、その先の人生が変わると思っています。
追記この事業も最初はコンセプト反対された、そんな綺麗事うまくいくはずがないといわれたけど妥協しなかっただって真実だから。
お金が儲かるからではなく、ホメオパシーの仕事を通して「これは真実だ」と思ったことを広げる仕事だから、信念を持ってやれるし、楽しいのです。
もうひとつ、想像もしなかったことがあります。
「あなたと一緒に夢を広げる仲間になりたい」と言って集まってくれる若い人たちが、定期的にいることです。
上司と部下のような、友達のような、親と子のような、姉と弟のような関係で、7年間ずっと続いている仲間もいます。
5歳のころ、虐待を受けて男性はすべて敵だと思っていた私が、です。
私は今58歳で独身です、子供をもつことはできませんでした、それはそれでいい人生ですが、今の自分を惨めだなんて一ミリも思っていません。
いまできるベストを生きているからです。
クライアントさんとの関係でいちばん嬉しいのは、大きなマイナスの状態でいらした方がゼロに戻り、そこからどんどんプラスに変わっていく姿を見るときです。
人間ってここまで変わるんだなと、いつも感動します。
家族ごと来てくださる方も多く、そのまま家族みんなが自己実現に向かっていくこともあり、これが本当に嬉しいのです。
私生活では、美食と古美術の勉強、2か月に1回ほどの出張で各地の名物を食べること、そして文房具とノートにはまっています。
これからは、社団法人を通してもう少し社会的なことをやりたいと思っています。
本気でホメオパスになりたい方がもしもいれば、後輩を育てることも夢のひとつです。
そして私のいちばんの夢は、この世のすべての人が、自分の才能を本当に発揮した人生を生きることです。
多くの人は、なんか知らんけど学校に行き、なんか知らんけど就職して、なんか知らんけど結婚して、自分で選んでいないのに「こんなつもりじゃなかった」と人のせいにしています。
自分の人生をもう一度自分の手に取り戻す人を増やし、そんな人たちとつながっていくことを、一生をかけてやりたいと思っています。
45歳からの人生で学んだのは、人は何歳からでも変われるということです。
私の想い〜ライフジャンプホメオパシー
ここまで、とても長い話を読んでいただいてどうもありがとう。
ホメオパシーとは、や初めての方へ に記載していることがもっと身近に伝わったかもしれません。
読んでいただいた通り、私自身が虐待、病気、手術、恋愛、人間関係、仕事、自己実現で悩み苦しみ七転八倒してきました。
あなたがもし、今なにかお悩みなら、私が経験してきたことでなにか力になれるかもしれません。
ホメオパシーはどちらかというと、ヒーリングが好きだったり、研究勉強好きな方がやりがちな療法で少し変わったお仕事をしている方が多いかもしれません。
私は少し変わり種で、ごく普通にお勤めをしてきて、恋も仕事も人生の中で、良いことも悪いこともかなり豊富に経験してきたホメオパスといえるでしょう。
私のホメオパシーでは、ホメオパシーで対応できない症状についてはきちんとお伝えします。
そのうえで、あなたの身体のお悩みを解決するお手伝いをして。
あなたの心の問題トラウマや虐待の心の傷、失恋、人間関係、家族、仕事の悩みを改善するお手伝いをして。
ケアを継続して、できるだけ改善した症状が簡単には戻らないように導くことを目指し。
さらに真剣にご自分の問題に取り組んで、自身を変える気概がある方には、今までの人生でつくりあげたブロックをはずし、自己実現を一緒に目指したいとおもっています。
もしこれらのお話になにか感じるところがありましたら、無料相談付きメルマガやプレセッション(オンライン相談)で今度はあなたの人生の話を私に聞かせてください。
私の半生から学んだのは、どんなに苦しい経験も、自分と向き合えば誰かの力になる経験に変わるということです。
